不正市道認定住民訴訟 「敗訴」 | 行政調査新聞

不正市道認定住民訴訟 「敗訴」

東京高裁で世紀のデタラメ控訴審判決!

 2021年12月9日、東京高等裁判所でまたひとつ日本の司法腐敗を雄弁に物語る「世紀のデタラメ判決」が言い渡された。
 この日、本紙が長らく報じてきた川越市不正市道認定損害賠償請求住民訴訟(過去記事は2ページ参照)の控訴審判決で、鹿子木康(かのこぎやすし)裁判長は原告住民の請求をすべて棄却、川越市民の敗訴となった。

 「控訴審判決文」

 原告市民代理人 清水勉弁護士・出口かおり弁護士は「判決文は5ページだが、判決理由は2ページしか書いていない。しかも判決理由は一審を上回る酷さ」と東京高裁 鹿子木康裁判長の判決を批判した。
本件住民訴訟から何が見えたのか? そして川越市民が今後なすべきことは何か? 事件の経緯を振り返りながら考察してみよう。

すべての企みは市長室から始まった

 この事件の源流は平成21年初夏頃に遡る。当時、川越市議会議員であり不動産業を営む吉敷賢氏と元川越市議・齊木隆弘氏が、川合善明市長を訪ね、齊木氏邸に隣接する土地の価値を高めるべく「市道」認定させる企みを開始した。いわば密室の市長室で計画された、都市計画道路建設に関わる代替地確保を表向きの理由とした利益供与の疑いが濃厚な事件が始まった。一方、川越市の公道・寺尾大仙波線の拡張工事は昭和37年(1962年)の都市計画として開始され、60年経つ現在も続いている公共事業だ。
 道路拡張予定地となった地区住民には、市が代替地を提供して転居してもらうことになる。それに目をつけたのが不動産業者でもあった吉敷市議(当時)だった。簡単に言えば、齊木隆弘氏の邸宅に隣接する土地を川越市が寺尾大仙波線の代替地として購入したことで、同時期に齊木氏の娘M.S氏名義で購入した既存の県道に接続していない袋地に繋がる土地を「市道」にしてしまおうという計画である。

 その詳細は過去記事に譲るが、この計画は川合市長にしてみれば代替地はどのみち必要で市の公共事業なのだから、露呈しても違法性はないと開き直れるし、齊木氏は娘名義の土地の価値が上がって喜び、不動産のノウハウでこの計画を立案した吉敷市議もなんらかの間接的な利益を得られるという、3者の思惑が一致した極秘の計画だった(経緯は謎のままだが、吉敷氏はこの「不正市道認定」計画後の平成25年にマンションを購入して入居している)。
 市が齊木隆弘氏と娘名義の土地に隣接する土地を代替地に設定したことによって、袋地になる齊木氏の娘名義の土地は「市道」に接続された。

 川合・吉敷・齊木による「3者密談」で、齊木邸前の土地が市道に接道されるよう分筆したのである。結果、齊木氏の娘名義で購入された土地は「市道」に認定され市税で新たな道路として舗装された。現地を見れば一目瞭然だが、市道がまるでコンコースのように齊木邸を立派に見せており、公道に面したことで齊木氏の娘名義の地価評価額も上がったはずだ。

下記は過去記事 リンク 

提    訴   第 1 回期日  第 2 回期日  第 3 回期日   第 4 回期日   第 6 回期日  第 7 回期日  第 8 回期日  第 9 回期日  第 10回期日   第 11回期日   第 12回期日  第 13回期日  第14回期日  第 16回期日    第 17回期日   一 審 判 決 
(第5回及び第15回期日の記事の掲載はありません)

<市道の行き止まりが齊木氏の娘M.S氏邸。右側が齊木隆弘氏所有地>

 写真のとおり現在、この短い市道の真正面の「行き止まり」に齊木邸(名義上は齊木氏の娘・M.S氏。道路右側全てが齊木隆弘氏所有地)が建っている。川越市の市道認定では「公道に接続されること」「公共の用途のために通り抜けが出来ること」等の要件を満たさなくてはならないが、齊木邸前の土地はどちらも該当しない。
 そこで「3者密談」は、齊木邸前の土地を「市道」にするため、寺尾大仙波線の道路拡張を利用した。齊木氏が娘名義で写真奥の袋地を購入し、写真左側の土地及び道路用地を代替地として川越市に買わせることで、後に「市道認定」するという作戦である。吉敷らの計画を、川合市長は黙って見過ごし担当課に「やるように」と指示だけすれば良いというわけだ。

防御に必死の川合市長、前代未聞の訴訟妨害!

 結果、代替地が必要だったはずの3世帯のうち1世帯の土地は現在に至るまで空き地のままである。しかも、その空白の土地は齊木邸まで繋がる道路の真ん中に位置している。代替地が2世帯分だけであれば「市道」を齊木邸まで延ばす距離が足らなくなってしまうどころか、市道建設の口実も失われてしまう。2世帯分の代替地ならば、道路は必要ない。
 だから市は、3世帯分とするために、架空の代替地希望者を生み出したのだというのが原告の訴えだ。実際、一審でも控訴審でも川越市は「第3の土地希望者はいた」と言っただけで、その経緯を立証することは出来なかったのである。だが、地裁も高裁も「架空の代替地希望者」については一切無視して判決にも触れなかった。この点は後述する。

<現在も空き地のままの代替地>

 この不正市道認定によって生じた工事費や空いたままの土地の維持管理費用の不正支出を訴えたのが、本件住民訴訟となった損害賠償請求裁判だ。さいたま地裁での一審裁判では、被告の川越市は防御一方で四苦八苦していた。口頭弁論での主張も二転三転し、市側の主張を裏付ける公文書も記録もなかったり、あっても日付を証明する受付印がないものだったりと、提訴から3年にわたって誤魔化しと不作為だらけの弁論に追われていた。裁判は原告住民が圧倒的優勢のうちに大詰めを迎えていた。

 川合市長と齊木氏親子はこの裁判の補助参加人だった。補助参加人とは、裁判当事者ではないが判決によって利害関係が生じることが想定される者が、自分の利益を防御するために自己申告をして裁判に参加することである。本件では被告は川越市だから市長が川合氏であっても、個人としての川合善明氏と齊木氏親子は訴えられていない。

 だが川越市が敗訴した場合には、原因となった個人・川合氏と齊木氏親子は川越市から損害賠償を請求されることが想定される。補助参加人として裁判に参加しておけば、川越市が勝った場合には個人・川合氏と齊木氏親子も請求を免れる。だから川合市長も、原告住民23名(後に1名は原告を下りる)のうち22名(戸松廣治氏を除く)に「アンケート」と称した自家製の手紙を送り付けるという芸当をやってのけたのである。

 その手紙は「あなたは川越市長の私を訴えましたか?」など複数項目のアンケート形式のものだが、そもそも訴状には原告の氏名が並んでいるのだから、被告・川越市の市長が、自分が訴えられたことを知らないわけがない。要するに川合市長は原告市民らに「おれを訴えるとはいい度胸だな」と言わんばかりの圧力をかけるために、もってまわった「アンケート」などを送り付けたのである。

 川合市長は裁判の中で、「アンケート」は「住民訴訟が参加した原告自身の意思によるものかどうかの確認」などとうそぶいていたが、このうち2名の市民に対しては手紙どころか直接電話までかけている。しかも、原告代理人弁護士の存在を完全に無視して、相手方当事者に直接手紙を送り電話で圧力をかけるなど明らかな訴訟妨害であり、市長としても弁護士としても正気の沙汰ではない。逆に言えば、この住民訴訟がいかに川合氏と川合市政を追い詰めていたかの証左だろう。

危機に瀕した川合市政を救ったトンデモ裁判長

 ところが、そこに突如、川合市政の守護神が登場する。
 裁判所の人事異動により新たな担当裁判官となった、さいたま地裁の倉澤守春裁判長である。本事件の最初の担当裁判官だった谷口豊裁判長は、倉澤裁判長と正反対のいわゆるリベラル派で、傍聴席から見ていても原告市民らの主張に真摯に耳を傾け、主張がコロコロ変わる川越市には手厳しいほどの姿勢で臨んでいた。それが倉澤裁判長に交代した途端、まるでオセロゲームのように優勢だった「白」コマは、一気に「黒」へと引っくり返されたのである。
 倉澤裁判長は、これまで被告川越市さえ主張したことがなかった「市道を作らないと袋地になってしまう住民がいるから市道認定した」という独自の視点を持ち出し、なんと口頭弁論の法廷で「要点はこういうことじゃないでしょうか?」と発言し、被告側に助け舟を出したのである。
 「こう主張してくれたら市を勝たせてあげますよ」と公言するに等しい、あからさまな「示唆」だ。当然、川越市代理人弁護士が倉澤裁判長の「サイン」を見逃すはずがない。大詰めに来て川越市は、それまでとはまったく路線を変え「倉澤判決」を事前に読み取ったかの主張を展開した。

 3年も続いた一審裁判は、倉澤裁判長という公権力の守護神の登場から、わずか5回の口頭弁論(口頭弁論は全部で17回)で審理が終結となりトンデモ判決で幕を閉じた。形勢不利な公権力側を勝たせるために、公開法廷で入れ知恵してみせた倉澤守春裁判長は「トンデモ裁判長」という表現では収まらない「国賊裁判長」と言えよう。

一審判決よりデタラメな控訴審判決

 原告住民らは今年7月、控訴に踏み切った。しかし、12月9日 東京高等裁判所鹿子木康裁判長は「控訴人らの請求をいずれも棄却した原判決は相当」と結論し、原告住民の請求をすべて棄却した。
 冒頭に触れたように、原告住民代理人清水弁護士をして「一審判決は、かなり酷い判決であったが、控訴審判決は、さらに酷い」と言わしめた控訴審判決は、さいたま地裁よりもあからさまに権力側をエコ贔屓した内容となっていた。本紙が「世紀のデタラメ判決」と評する「鹿子木判決」の大きなトンデモ判決理由は2点ある。まず、寺尾大仙波線の代替地として、3区画に分筆前の平成21年の時点では、代替地を必要とする地権者は誰もいなかった。これが原告の主張であった。

 しかし、鹿子木裁判長の控訴審判決では「3区画のうち2区画は払い下げられているし、残りの1区画にも代替地として取得する予定の地権者がいた。だから3区画分の代替地は必要であったため、原告の主張は認められない」と述べている。この判決のデタラメな点は時系列である。
 「3区画分筆時に代替地希望者がいなかった」という原告に対して、鹿子木裁判長は「分筆時に代替地希望者がいなかったとしても、今は実際に2世帯住んでるじゃん。もう1区画にも希望者はいたんだって市は言ってるじゃん。なら問題ないじゃん」と言うのである。

 当たり前の話として、裁判で「犯行当時は罪を犯しましたが、いまはやってませんから問題ないです」などという主張が認められるはずがない。
 ところが、この鹿子木裁判長は「現在の状況で問題ないのだから、市が訴えられるスジ合いはない」と市民を斬り捨てたのである。
 次に「袋地」問題だ。一審の「倉澤判決」では争点となっていた齊木親子の土地について「袋小路になる土地に市が道路を確保することは不合理ではない」としていたが、控訴審の「鹿子木判決」では「誰であろうと袋小路となる土地のために道路用地を確保することは不合理ではない」との判決なのだ。

 元市議・齊木隆弘氏の娘名義で取得した土地の東側には、隣接する父親・齊木隆弘氏の土地があり、道路がなくても齊木隆弘氏の土地を通れば何の問題もなく公道へ出られる。だから齊木氏の娘名義で取得した袋地の土地に、わざわざ市道認定した道路を作ったことは問題であるというのが原告の主張であったが、控訴審鹿子木裁判長は一切認めなかった。
 市道認定する道路の基準では、公共の用途として「通り抜けできる」ことが原則とされているにも関わらず「鹿子木判決」では、この点を完全に無視。つまり、権力側が不利になることには触れない「言ったもの勝ち」である。

裁判で腐敗行政は倒せない

 本事件に限らず、民間人が国や市といった公権力を訴える行政訴訟は、圧倒的に行政=権力側が勝つことになっている。市民側の勝訴率はおよそ10%と言われる行政訴訟は、民事裁判ではもっともハードルが高い。
 裁判所も行政も同じ権力だから、裁判官は民よりも権力側の主張が正しいに決まっていると考え、間違っている場合でも「判決という名の作文」で権力側が勝つようにする。本件裁判一審の倉澤守春裁判長(さいたま地裁)、控訴審の鹿子木康裁判長(東京高裁)とも、権力に不都合な点は裁判の争点であったことさえ平然と無視する名ばかりの判決を言い渡した。
 権力に不都合で、同時に判決文に書かないわけにはいかない点について、権力守護派の裁判官は、争点ごと無視するという手段を取る。

 本事件では「架空の第3の代替地希望者」がそれである。第3の代替地希望者が「いた」というのは川越市の主張の上でのことだ。勿論、その人物は実在する川越市民なのだが、空き地となった問題の土地に「関心があったが、やがて翻意した」ことを被告である川越市は、まったく証明できなかったのである。だから原告側はそれを「架空の第3の代替地希望者」と呼んでいた。判決でも、結果として現在同地に居住する2世帯ではない「第3の代替地希望者」の存在はたった一言だけ触れているだけで、本当に希望していたのか、なぜ翻意して希望しなくなったのかという経緯を川越市が証明していない点について触れていないのである。

 もし2世帯だけだと「市道」認定に不都合だから「架空の代替地希望者」を作って、この秘密の計画が進められたのだとする原告主張について、一審の倉澤裁判長も控訴審の鹿子木裁判長も一切無視したのはなぜか?つまり、裁判所がここに触れると判決は書けなくなるのだ。
 この「第3の代替地希望者」が本件裁判における原告住民の主張の核心部であることを、倉澤・鹿子木裁判長ら自身が理解したからこそ判決文で言及しないという禁じ手を使ったのである。
 争点に触れない裁判などは、もはや裁判ではない。
 本来、国民の権利であるはずの裁判で、なぜ国民が負けるのか?
 大きな理由は2点で、ひとつには裁判所こそが最高権力であること、もうひとつは公権力のマンパワーと資金力である。最高権力者たる裁判長が、同じ権力者だが弱小権力たる市長に判官贔屓(ほうがんびいき=弱い方に同情した加勢)したわけだ。そして公権力を勝たせる裁判官は例外なく出世する。また公権力には公務員という膨大な数の人手と、長期にわたる裁判でも法務費用に困ることもない資金(税金)がある。民間人である市民は、行政訴訟を起こすだけでも大変な労力と裁判費用の負担を強いられる。公権力は図々しくも市民が収めた税金で弁護士を雇う。

 本事件の被告川越市も市民の税金で弁護士を雇い、大勢いる職員を顎で使って裁判に臨める。この点において、行政訴訟とは市民側にとって不利なゲームだが、原告は勝利を信じて闘った。
 川越市の権力者・川合善明市長が次から次へとデタラメな言い分の訴訟を連発しても、裁判所が市長に有利になるよう気遣ってくれるのは、市長に忖度(そんたく)するからというよりも「権力者の性質」が同じだからと言うべきだろう。いわゆるリベラル派裁判官に当たらない限り、地裁も高裁も本質的な裁判所の姿勢というものは変わらない。
 ある弁護士はブログで次のように述べている。

裁判所に行けば、正当な権利が救済されるとはもはや思わない方がいい。政治的な問題ではまず弱者が敗訴し、政治的でない事案でも、サイコロの目を転がすように勝敗が決まってしまうような事態に陥りつつある。

みどり共同法律事務所
穂積剛弁護士コラム「裁判所が狂い始めている」(2018年5月)
http://www.midori-lo.com/column_lawyer_122.html

市民の手で腐敗市長を引きずり降ろせ

 では、なぜ市民たちは行政訴訟を起こすのか?
 それは行政の不正を公に問うために、唯一市民が与えられた方法だからだ。民の勝率が1割程度でも、公権力の犯罪、暴走、腐敗を裁判で社会に問うことは重要だ。SNS時代では「トンデモ判決」はその裁判長の名前と共に瞬時に世界に拡散される。しかし裁判官は、自分の判決を反省することも良心の呵責を感じることもない。公権力を勝たせれば出世し、退官後も天下り先に困らない。
 司法で行政を正すことは決して有効策ではないだろう。しかし、市民には「選挙権」という公権力に対する最大の武器が与えられている。いかに裁判所が権力者を贔屓するといっても、それは「権力者が権力ある地位にいる間だけ」のことである。本件裁判の原告市民敗訴の結末に、川合善明市長はご満悦だろう。だが「市長」でなければ誰にも守ってもらえないことを一番理解しているのは川合善明氏自身であろう。

 道路を不正に作ろうが、住民訴訟の原告となった女性市民を狙い撃ちでスラップ訴訟しようが、裁判官が守ってくれる。だからこそ川合氏には「市長職」が何よりも大事な命綱なのだ。このような人間に反省や良心の呵責を期待しても不毛なだけである。
 それよりも市民は問題人物を市長に選ばないこと、間違って市長にしてしまった人物はリコール選挙で首長の座から引きずり降ろすことを考えるべきである。投票率が低い川越市では実現の可能性は限りなく低いが、実はリコール選挙はデタラメ裁判よりも強力な市民の武器だ。なぜなら一般の選挙でもリコール選挙でも、投票に立証など不要だからである。

 ポピュリズム批判で言われる「気分だけ」で当選する政治家もいれば、「風」だけで落選するのも政治家だ。こう考えれば、市民が裁判で権力に敗訴することは大きな問題ではない。実際に多くの政治家が裁判ではなく「世論」によって政治生命を絶たれている。市民が声を挙げることは、それだけの力を発揮するのである。

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